何をしても続かなかった私が「フィルム業界」だけ続けられた訳
フィルム一筋十一年。
この言葉には、単なる年数以上の重みがある。
十一年という時間は、決して一直線ではなかった。
技術が身についたと実感できた日もあれば、
自分の未熟さを突きつけられた日もある。
施工が思うようにいかず、悔しさを噛み締めた日々。
それでもこの仕事を辞めなかった理由は一つだ。
奥深しい世界
フィルムという分野の奥深さと、
誤魔化しの効かなさに、本気で向き合い続けたいと思えたからである。
フィルム施工は、派手さのない仕事だ。
貼り終えた瞬間に劇的な変化があるわけでもない。
多くの場合、完成後に残るのは「違和感がない」という静かな結果だ。
しかし、この“違和感がない”状態を作るために、
どれだけの知識と判断、経験が必要かは、
実際にフィルムと向き合った者にしか分からない。
ガラス形状、塗装の状態、温度、湿度、素材の癖。
ほんのわずかな判断ミスが、浮きや白濁、
数値不適合として表面化する。フィルムは正直だ。
誤魔化しは必ず時間差で返ってくる。
だからこそ、十一年間、逃げずにこの仕事を続けてきたこと自体が、
技術と姿勢の証明だと考えている。
己の全てが反映される
フィルム一筋でやってきたからこそ、他分野に浮気しなかった。
コーティング、板金、販売。
どれも魅力的ではあるが、
あえて手を広げなかった。
理由は明確だ。
専門性は、集中の先にしか生まれないからである。
中途半端に扱えば、フィルムという技術は簡単に牙を剥く。
だからこそ、施工環境、知識、道具、
考え方のすべてをフィルム基準で積み上げてきた。
十一年分の施工台数、失敗例、改善例。
これらは教科書には載らない。
現場でしか得られない、生きたデータだ。
その蓄積があるからこそ、
初見の車両やイレギュラーな条件にも、
感覚ではなく論理で対応できる。
これは短期間で身につくものではない。
己のプライド
プライドとは、威張ることではない。
ましてや、過去にすがることでもない。
フィルム一筋十一年のプライドとは、
「この仕事の怖さを知っている」という自覚であり、
「だからこそ基準を下げない」という覚悟である。
経験を積めば、
手を抜くこともできる。
誤魔化すこともできる。
しかし、それを選ばない。
なぜなら、自分が一番それに気づいてしまうからだ。
フィルムを貼るたびに、十一年前の自分が背中を見ている。
その感覚がある限り、仕事を軽く扱うことはできない。
これから先も、フ
ィルムという仕事は
簡単には無くならないだろう。
むしろ、車両の高性能化、法規制、素材の進化によって、
要求水準はさらに上がる。その中で生き残るのは、
器用な人間ではなく、愚直に積み上げてきた人間だと信じている。
フィルム一筋十一年。
それは、選んできた道の長さであり、
捨ててきた近道の数でもある。
この仕事に誇りを持ち続けられる限り、
私はこれからもフィルムと向き合い続ける。
それが、私のプライドである。